下の階から何やらゴソゴソと音がする。どうも朝らしい、まだまだカーテンは薄暗く冷たい静けさが覆っている。目覚まし時計の音も鳴らず、起きる時間を気に留めることもなく毎日が日曜日とは言うものの不規則な生活を営めるほどの可笑しさもなく流れてゆく日常は仕合せなのであろうか…
2022年に買った音質の良いアルバム
2022年はウクライナでの戦争に始まり、物価上昇によるインフレが進み動乱の一年でしたが、大谷選手を応援し、サッカーを観て喜び、音楽を聴いて住ごせることに感謝します。
相も変わらずアナログのLPを買っていますが、音質的にはDSDで録音されてDSDで発売されているデジタル音源を聴くとさすがにDSDの方が安定してよいアルバムが多く、特に無音時の静けさが聴感に大きくかかわっているように思えます。
時間の始りの妄想
忙しさから離れて時間ができるようになると、子どもの頃のように妄想が巡る。
夜宙を仰ぎ見れれば星の瞬きでE=mc²が呼び起こされた。
でもこれって時間がなかったら意味あるのかな?
などと不思議な疑問が湧いてきた。
と言うことは、先に時空が存在するのではないのか?
空間の無いところでも場所と呼ぶならば、
時は全ての宇宙と次元空間を包んでいるのかしらん、
次元の違いによって時が違うから穴が空くのかも知れない。
2021年に買って音質のよかったアルバム
最近はデジタル音源を買うケースが増えてきました。レコードは欲しくても新譜では少ないし、あっても高価なんでデジタル音源になってしまい、CDだと中古でとても安く買える時に購入するパターンです。
デジタル音源の購入先は主にHDtracsになることが多く、四半期ごとぐらいに全品割引セールを行ってくれます。尚、Hi-Reso New Releaseだと毎週20%引きのクーポンを送ってくるし、カートに入れたまま忘れている(買うか迷ってる)と特別クーポンを送ってくることもあってマメな商売をされてます。
2021年に少ないながら買ってよかったと思う音楽アルバムをデジタル音源、CD、レコードに分けて記録しようと思います。
2020年に買って良かったと思う音楽アルバム
2020年はコロナ過の状況もあって、飲み会もなく音楽ばかり聴いていた。媒体もレコード、CD、ハイレゾデータといろいろな種類のものを購入してハイブリッドな年になった。そういう中でハイレゾな新しい録音アルバムは総じて優れたものが多いように思うのだが、音圧が高くなっていることは気になる。これもヒスノイズを低減できたので音圧を上げてダイナミックレンジが得られるということだし、非力なDAPでも十分な音量を稼げるということなんだと思うけど、なにせiPhoneにすら音楽を入れておらず、もっぱらアンプとスピーカーで聴いている者から観るとなんだかなぁとなるのである。まぁボリュームを都度合わせれば済むことなのだけど。
さて、レコードに関しては古いソースばかりになるのだけど、その中ではアル・ディメオラのCASINOが良かった。初期の頃の作品で速弾きのギターサウンドを聴いて懐かしく想い、このころからロックとジャズの垣根がなくなったのを想いだす。ロックではロイ・ブキャナンのLoading Zoneを聴くと既にこのころにギターの一つの頂点だったように思う。この手のサウンドを聴くとブルース・ギターを聴きたくなってしまうところが天邪鬼なのかもしれない。クラシックではカルロス・クライバー指揮のこうもり、これはシュトラウスのオペラでワルツにのった歌劇が聴ける。カルロスの指揮でウィーンフィルが絶妙な音を奏でていて、ルチア・ポップの張りのある若々しい唄声が絶賛。カルロス・クライバーとウィーンフィルは非常に良い組合せで4弦の重なりと音の消え方が心地良い。次にパブロ・カザルスのチェロでバッハの無伴奏チェロ組曲、LPだと3枚組になり、とても一気に聴き通す力はないのだけど音量を上げて聴いた時の震える部屋が刺激的で、こんなに暴力的に思える音がチェロから出るとは思わなかった。だからと言って音楽性を損なうなどと言うことではなく、チェロの持つ能力をフルに弾き出すカザルスに感嘆するばかりである。
CDではメルニコフのSonatas for… これはヒンデミットのソナタでメルニコフのピアノと各楽器のデュオになっている。角ホルン、チェロ、トロンボーン、ヴァイオリン、トランペットと何を聴いても心が洗われる。2015年の録音だけあって音質も素晴らしく、オーディオのリファレンスとして使える。オーケストラのように音の分離や解析みたいなことには不向きだけど、各々の楽器の響きの聴こえ方と拡がり方で情景が写される。こういうCDを聴いてしまうとハイレゾの高価で重量級の保存容量を使わなくてもと思えてしまう。2枚目もピアノでイリアーヌ・イリアスのDreamerで、彼女がピアノを弾いて唄うジャズになっている。ジャズヴォーカルでピアノを弾いて唄うと言えば、ダイアナ・クラークが有名だけど彼女のような粘っこさはなく、端正でふくよかというちょっと風変わりな声質に思える。2004年の録音だけど、ピアノの音がリアルでヴォーカルとのミックスも素晴らしく、マスタリングと録音の質が高くとても気持ちいい。次もクラシックになってしまうのだけど、ちょっと古くてテンシュタットのマーラー2番、しかも北ドイツ放送交響楽団の演奏である。とにかくオーケストラの力を振り絞るような演奏で、こちらもついつい握りこぶしに力が入ってしまう。おかげでCD2枚を通して聴いたあとは、はぁーとため息が出る。こういうのはさすがに分離がよくて定位がピタッと決まるようなスピーカーと一瞬の力が出て明晰なアンプで聴くことが望まれるのだが、金銭的なことを考えると素晴らしいヘッドフォンを買った方が近づけるのかも知れない。もっとも凝り出すと何を買っても際限の無いのがいけない。しかも、お金をかけたら良くなるかというとそうでもないから困った話である。
最後にハイレゾソースですが、ジミー・コブの最新アルバム・This I Dig of Youは古いジャズファンなら何も言わず頷き、若い人にとっても痛快ではないだろうか。91歳には思えないドラミングは力強さを与えてくれるし、ピーター・バーンスタインのフルアコタイプのギターサウンドが桃源郷へと導いてくれる。ジャズ伝説のカインド・オブ・ブルーから60年、伝説のドラマーも鬼籍に入られ、ハイハットの音を聴きながら哀悼を捧ぐ。次もジャズだけど、ゴーゴー・ペンギンのGoGoPenguin、マンチェスター出身の3人組でジャズのようなクラシックの現代音楽と言えるように思える。とても3人で奏でているとは思えないほど重厚なサウンドで、異次元な境地に彷徨う感覚、音が重いのに宙に浮いている錯覚にとらわれ、どことなくブライアン・イーノを連想させる。40年前にペンギン・カフェ・オーケストラなるレコードを買ったけど、ペンギンと名が付くと前衛的になるのかしらん。ウーハーのデカいスピーカーで聴いてみたいものだ。
クラシックでは、ヴァシリー・ペトレンコ指揮、ロイヤル・リヴァプール・オーケストラのショスタコーヴィチ交響曲7番と11番、とても小気味よいアンサンブルで音の締りが気持ちよく、リズミカルでポップな雰囲気がムラビンスキーやコンドラシンでは聴けないショスタコーヴィチを映し出している。
そしてバルトークの2台のピアノと打楽器のソナタ、ピアノ協奏曲3番。ピアノの演奏はシャンドール・ジェルジでバルトークの弟子でピアノ協奏曲3番の初演を行ったピアニストです。旧い録音を起こし直してレーベル2xHDがDSD256にしたもので、音のリアリティにあんぐりしてしまう。ピアノの音が明晰で繊細なのに音のタッチは柔らかい、オーケストラの各楽器の音の分離も良くて優れものです。2台のピアノと打楽器のソナタも秀逸でピアノとピアノの重なりのセンターに太鼓の音が沈み込み、余韻の振れが音楽になる。これ、マスタリングした人が気になる一作です。
そして最後もクラシックでエルガーのチェロ協奏曲、JOHANNES MOSERという中堅のチェロ弾きです。チャイコフスキーとの組合せアルバムから切り離されて$5.98とお買い得なので買ってみたら、とっても気に入りました。PCM96kHz_24bitでレーベルはPENTATONEです。チェロの持つ音の響きがカチッとしていて存在感があり、それでいて哀愁ある音色をのぞかせてスピーカーの際に立っているんです。
家のかほり
小学生の頃は六畳一間に一口コンロと炊飯器があるだけで親子三人が暮らしていた。今、考えてみると貧乏だったわけだ。友達の家に行ったり、津島のおばあちゃん家に行くと、部屋がいくつもあるから走り回っていたけど、自分家が貧乏だと思ったことは一度もなかった。部屋の入口の角に一口コンロとガスの炊飯器が置いてあり、どうやって料理していたのかちっとも思い出せない。脚を折りたためる丸いちゃぶ台で家族三人一緒にご飯を毎日食べていた。勉強もちゃぶ台の上だった。そんなころに父親は何を思ったのか知らないけど、美術館に連れて行かれ、ムンクの叫びの前でなぜか棒立ちになってしまい、ボゥーっとしていたら夕焼けの背景がこびりついてしまった。そして、中学へ上がるころにカフカの変身をくれた。薄っぺらな本でカフカの写真がぼやけていてなんやら寂しげにみえる。頬を両手にあてるとムンクの橋の上の人に診えてくる。その記憶がいまだに僕を支配していて叫びと変身は同じかほりがするのだ。
中学生になると借りているアパートの別部屋を借りてもらい勉強部屋を作ってくれた。その時に初めて自分の椅子と机を持って、勉強をするわけでもないのに自分の城を持ったようで意味もなく嬉しかった。そして父親は、なんと自動車を買ったのだ。もうこれにはビックリ!よく買えたなあと今でも思う。最初のころは父親の運転も怖かったけど、ほどなくスムーズなドライブで家族三人そろって、いろんなところへ出かけて行った。朝の日が顔を出すのを見ながら家を出て、とっぷりと暮れた遅い時間に帰ってきた。父親一人で長時間のドライブだけど、楽しそうに運転していたのを思い出す。まだ休みは日曜日だけという時代で、細くて背中に傷跡もある身体のどこにそんな体力があるのか、父に似て僕も細くて体力不足を感じることを思うと不思議でしょうがない。
大学生になると自由な時間が増えてバイトと遊びに多忙だったので、家には寝に帰ってたようなものだ。そして、両親は念願のマイホームを手に入れたのだけど、僕には空間が広がっただけのように思えた。きっと、狭いアパート暮らしが長くて、家という外見的なものにこだわりが無いのだと思う。そんな僕が今では自分の持ち家があり、家の中にはゴッホやらピカソやら息子が画いた絵やらが壁を飾ってあり、本棚には絵本と児童文学シリーズが並んでいる。そんな息子たちも一人立ちしてカミさんと二人きりだし、実家はおふくろが一人で暮らしている。家の間数が増えただけ、かほりが薄らいだだけのように想えて仕方がない今日このごろだ。
約束の塔2
主人の居ない部屋の空気がむさくるしくなりそうな頃にドアのチャイムが鳴った。モニターに映っているのはちゃらけた幼馴染だ。ドアを開けてやると、
「よー元気そうでひっさしぶり。」と聞き飽きた声のトーンが耳を占有する。
「あー、お前もな。ちょうどいい、同居人が実はもう一人いるから紹介するわ。」と僕の大学時代の友人を紹介する。
「うーっす、こいつの幼馴染っす、よろしく。」と幼馴染が変な自己紹介をすると、
「いえいえこちらこそ、以前に数回飲みましたね。覚えていらっしゃいますか?」と友人が馬鹿丁寧なあいさつをしている。
「あー覚えてるよ、飲んでる最中に他の大学の連中と盛り上がっちゃって飲みすぎて、川のほとりで一緒に朝までくたばってた人でしょ。」と幼馴染が言いだすと、
「そうそう、あの後が大変で朝に目を覚ましても頭が痛くて、ふらふらになりながら下宿にかえったよ。」と笑いながら友人が応えている。
「うーん、いい部屋に住んでんじゃねーか。ふーん、テレビがなさげなリビングがいいねー。おー相変わらずオーディオが場所を占めてんな。いい音楽といい空気といい仲間があれば良い人生だ。」と褒めてんのか貶してんのか分からないコメントを幼馴染が吐きながらリビングを物色している。
「なにがいい人生だ。いっつもお前が俺の部屋に来て散らかして帰ってただけだろう。」と幼馴染のお世辞を蹴散らかす。
「折角だから、レコードでもかけようぜ。えーと、えーと、うんそうだな、これにしよう。」と幼馴染が手にしたレコードは思いがけなくドボルザークの新世界よりなのだ。
「しかし、お前がクラシックを聴くなんて成長したね。幼馴染が交響曲を掛けるとは思わなんだ。世の中は知っているようで存外相手の事を知らないもんだね。」と感嘆しながら僕が批評する。
「でもよーTVないと不便じゃねぇ?」と幼馴染が言うと意外にも友人が、
「無くても何ら支障はない。最近のメディアはレベルが低いですし、女子アナなんか常用漢字すら読めないのがいるんだから、却ってTV見る方が悪影響あるんじゃないかと思うよ。自分たちのレベルの方が高いなんて変に自信過剰になるように思う。」
「まぁ確かにTVなくてもスマホがあれば実情はわかるしな。」と幼馴染もやけにしおらしく相槌を返している。そこで僕が、日経新聞はとってるからって言ったら、二人からチラシがなくても大丈夫か?だって。僕を主夫にしようとしている魂胆で即座に二人で息が合うなんて末恐ろしい。どう見ても不利なような気がする。僕は絶対にこいつらの日常に惑わされないぞと密かに誓う。
レコードのある家とボク
うー~んと思いながら、やおら視界にあるオーディオに灯をともしてみた。結婚する前に蘊蓄をたれながら買い込んだ機材だけど、後半の人生をそれぞれに同じ軒下で暮らしてきた仲間だ。久しぶりにレコードをかけてみたら、魔法のランプから魔人が出てくるように音像が浮かんでくる。なんだか忘れてきたものを拾い集めるように音色が時空を埋めて満ちてくる。そうこうしている内に小さなスピーカーのRogers LS3/5aでは物足りなくなってしまい、家の間取りから空けられるスペースを算段してTANNOYというスピーカーを買ってしまった。あれこれと迷ったのだけど、結局は英国のスピーカーになるところが面白い。TANNOYには有名なスピーカーがあるけど、大きさとお金があわないのでトールボーイ型を択んだ。それでも、同軸スピーカーだけあって音像の定位が素晴らしく良いのでカミ様のクラシックレコードをよく聴くようになった。そうやってオーディオとレコードのある空間に浸るようになれば、おのずと情報もなだれ込んできて、『クラシックレコードの百年史』なる本の記事を読んでしまった。僕はクラシックに疎いので、歴史を振り返るには大変ありがたいと思い、早々にカミ様に図書館から本を借りてきてもらった。
著者のノーマン・レブレヒトさんはレコード業界やマエストロにやたら詳しいし、なんか親近感のある面白い文章を書くなぁと思っていたら、業界の一人でレコード会社を辞めてからはクラシック番組のコメンテイターではないか。そうだよね、でないと事業部門のエピソードなんて出てこないし、録音時の苦労話も出てこない。なかなか面白い本に出逢えてうれしい。1980年代になるとCDが出てきてレコードの終焉を迎えるのだけど、SONYの盛田さんや井深さんの話も出くる。その当時はJAPAN AS No1なんて本が出て、エコノミック・アニマルなんて揶揄されてたもんだ。でも、本当にグローバル企業になれたのはSONYぐらいなもので、日本人の多様性の無さとビジネス構成力の無さを改めて想い起してしまった。
さて、この本の駄賃として巻末に著者の独断と偏見によるクラシックレコード100撰がある。一枚一枚のレコードについて著者の見識と想いが募られている。音楽の表現されている文章は数多く読んだけれど、これだけ形容詞と比喩に富み、人生の交差点を息もつかさず書かれたものを初めて観た。それを読んでしまうと必然的にレコードを買ってしまった。その中の一枚が、ディヌ・リパッティのショパン・ワルツ集だ。しかも、このレコードは市販品ではなく見本品で、ブザンソン音楽祭のライブ盤である。かれは、14曲あるうちの13曲までしか弾けず、彼の指は止まってしまった。その最後の録音盤をボクの家のオーディがディヌ・リパッティを甦らしてくれる。ピアノを絶命する寸前まで弾いているからと言って鬼気迫る音色ではない。夥しいスクラッチノイズに邪魔されながらも、どこまでも優しげに包んでくれるピアノの音なのだ。右手より左手の伴奏の低い音がより響くのは何故なのだろう。リズムはどこまでも安定していてどこにも崩落するような予感はなく、いつまでも響きそうな少し乾いた音が脳裏に録音される。陽は勝手に明日もまた昇る。そして、明日もまたボクは何の役目もないのだけど頑張ろうと想う。それは、あまりにもピアノが優しくボクをくるんでくれたから、そう赤子が初めてくるまれたわたの中にように。
約束の塔(1)
自分の荷物を片付けながら仕事部屋を作っている昼のちょっと前に引っ越しの荷物だけがやってきた。友人の部屋はこの上の一室を共同で借りており、大きな荷物はベッドだけで後は段ボールが数箱あるだけだ。僕たちが生きてゆくには十分すぎる財産のようだ。
夏の暑い日差しが陰り出すころに呼び鈴が鳴った。ドアを開けると真っ黒に日焼けした大学時代の友人がにこやかに立って、
「よう!ちゃんと生きてるな。久しぶりだな。」って言いやがる。
「ああそうだ、お前こそ真っ黒で、子供のように元気溌剌じゃん。」と言いながらハイタッチ。随分といい所をみつけたなぁ、上出来上出来と友人は楽しそう。
「ああ、ここを見つけるのに結構調べたんだぜ、僕の苦労のおかげってもんよ。感謝しろよ、君。」と友人に言葉を返す。
「もう昼めしにでもしようっか。」と腹の減った顔をしている友人に言うと、
「おうそうだな、飯は君にまかすわ。」と言われて僕が造る羽目に陥る。なんだかいつものパターンになりかけていて芳しくない。すぐに作れそうなのはスパぐらいしかないので岩塩を入れて茹でる、ステンレスのボールの中にチーズの壁を作り新鮮な卵を入れる。ベーコンとニンニクをオリーブ油で炒めて卵の上に載せる。そして茹で上がったスパを手際よくトングで掴んでボールに入れ、湯気がほわほわと上がるのを見て、おもむろに混ぜ合わせる。チーズと卵の黄身が溶け込んで粉っぽさが無くなったら出来上がりだ。
ところで職業のあてはあんのか?と友人に聞くと、これでも事業コンサルタントだぞーと思わぬ回答が返る。
「あんたにコンサルされたらつぶれんじゃねぇ?」とツッコミを入れると、
「ふぁふぁふぁ、これでも数件のお得意様があるんだぞ。」と偉そうに友人は言うのだ。まぁ昔から法螺があるけど、半分はあたってる。ついでにワインで乾杯!おいしいチリワインがるぞ。僕たちの再開と出発記念だ。ありがとうよ、君は本当にいい友人だと友人が柄にもないこと言うと結構照れる。いいワインだ、うまいじゃないか。
TVで目立つようになった芸能人の話題になり、友人が言うにはマツコデラックスは戦略家だそうだ。人気が出始めるか落ち目の相手にしか毒舌を吐かないことでパッシングを免れ、それ以外は人の悪口で自分の話題を持ち上げて他人の話題で笑いを取っている。マツコ自身は何も損をすることもないし、批評だけで食べいるから大したものだ。見た目が不細工だから許されるのだろうけど、長続きする方が不思議だと分析する。そんな話をされても、僕はTVを見ないのでサッパリわからない。人気絶頂期に何も言わないのは何故かって聞いたら、マツコ自身がパッシングを受けないように計算されつくされているからで、そこが戦略的な所なんだよ。と友人が開設してくれた。なるほどな、でもテレビ局から擁護された記事がWebにあるよって言ったら、ちょっと力学的に考えてみれば分かることさ。マツコの冠番組でスポンサーが降りるって言われると困るでしょ。とコンサルタントらしい回答が返ってきて笑えた。
「なんか美味しく作ったカルボナーラがまずくなるよね、なにもあんな悪口しか言えないタレントの話で大事な昼食がまずくなるのはよそうよ。」と僕がだるそうに喋ると
「そうだな、再開してする話題でもないよな。でもさ、なんで緯度の高いここが赤道より暑いんだ?約束の地はここだったのかしらん。」と訝しがる友人がつぶやく。
そうそう、友人の君に言わなきゃいけないことがあった。
「僕の幼馴染もここに来るんだわ。」
「えっそれって数回一緒に飲んだやつか?」とまごついた声で友人が返す。
「そうだよ、僕とは腐れ縁だからいいけど、君とは危ないコンビになるかもな。」と言いながら、確かにノリだすと止めるのは僕の役割になりそうで怖い。




