探偵事務所を閉鎖して引退する探偵から事務所の鍵を渡される主人公は記憶喪失にかかっている。このシーンを読んだとき、以前に似たシーンをぼんやりと感じた僕もまた記憶喪失になっていた。
物語りとしては探偵に雇われていた主人公が自分の記憶を取り戻してゆく様が描かれている。この後に書かれたイヴォンヌの香りという作品もまた主人公の素性は分からず、存在はあるのだけど架空なのかも知れない不安定な空間を作っている。
そして物語の中で繰り広げられる世界は少しばかり現実と違うようだ。主人公は記憶の探偵を始めて1ヵ月ばかりで核心的な事柄を掴んでしまう。それなら鍵を渡される以前にもわかりそうに思える。また、フランスの高校を卒業しているはずなのに国籍不明であり、暗いブティック通りはローマの番地である。
不確実な折り合いの中に生まれた空間を絶妙な言葉でふわふわと誘われてゆく、実に不可思議な空間だと思う。
隠された記憶が発見されるごとに謎も産まれ、面白く読めるのだけどエンディングもまた秘密が生まれてしまう。