遠きにありて、ウルは遅れるだろう  ぺ・スア 著 斎藤真理子 訳

  ウルは主人公の名前だけど、遅れてくるわけではない。そこに存在しているのだけど、物語の中に時空がないから、遅れもしないし進みもしないように思える。


 三つの物語があり、どれにもウルが出てくるけれど、どれもが違うウルでありながら、どれもが同じウルの空間というかテイストというか本質的には同じ概念として作られているのだろうと思う。
 文章が前後したとしても問題はない。そこに表現されていることは時系列が必要なく、全体を総和として感じればいいように思う。そういう意味では、各文章は箇条書きだとも思えるし、文自体も愉しいものではないように見える。
 文章につながりがあるように思えないので、抽象画を観るように読んでいるし、形容詞の羅列にも具体的なイメージを浮かべる必要がなく、感じることだと思える。テキストの意味を考える人にとっては苦痛なのではないだろうか。

 コヨーテ、知らない人の結婚式の招待状、パーティーが嫌い、さて、何故コヨーテなのだろう。