下の階から何やらゴソゴソと音がする。どうも朝らしい、まだまだカーテンは薄暗く冷たい静けさが覆っている。目覚まし時計の音も鳴らず、起きる時間を気に留めることもなく毎日が日曜日とは言うものの不規則な生活を営めるほどの可笑しさもなく流れてゆく日常は仕合せなのであろうか…
ずっと目覚ましの時間は5時10分なのだが明るい時もあり、日が出ずることのうれしさがじんわりと響くのだけど暗い時節は重苦しい。時間の制約がなくなり、陽の上がる時とともに暮らすのはインプットされてきたものなのかも知れず、不思議に心地よい。なのだけれども、もっと早くうつつから刻はなれていて、カブのエンジン音が響き、すぐに止まり、またエンジン音が響き、また止まる。そうしながらも徐々に聞こえなくなると、セルモーターの回る響きが聞こえエンジンが覚ます。排気量の軽く少しばかり音程の高い音がしたら、思わずアクセルを踏み込み一瞬音が低くなりながら発進してゆく様が音から蘇る。まだ早い、水洗の音は響くので我慢して眠りにつこうとする。
ふとんを口元まで被りながら、ぎゅっと抑える。眠りに入る時がいつの時ももっとも仕合せな時間に思える。なんも要らない、眠りに入る瞬間ほど心地よいものはない、すべてが解き放され解放される。何もないこの空間は全てを満たしてくれる。なぜだろう、羊水のなかにいたことなど記憶にないのだけれど、おだやかで満たされた時空が拡がり、なぜだか丸まってしまう。いつもそうだ、これからもそうであって欲しいと記憶が途切れる。
桃の節句にもなると日がカーテンを明るくしてくれる時間も早まり、頭を持ち上げて布団の上にあるフリースを纏う。左脇の小さなテーブルにあるMacをつかむと、とても冷たくて重く感じる。画面が明るく周りをともす日の差し込みを消し込んでいる、円は1$150円前後から動いていない。いくNISAの額が増えてもこれではS&P500は買えない、オールカンでもいいのだけど、為替のヘッジは効かないし配当もないから買いづらい。
年金だけど暮らすには少々気細く、かと言ってある金額だけで暮らしていけばいいだけのことだけども、何十年も払ってきて頂ける金額は多くはない。それでも現役世代に負担がかかっていることを思うと一体だれの設計なんだろうと首を傾げたくもなる。そもそも今の政治は税金という名を使わずに保険料を増額してステルス増税に勤しみ、自らは裏金作りに邁進する輩で如何わしい宗教団体とも手を取り合う人々が権力者なのだから、年金にも保険料や税金をかけて搾り取ろうとしているのだけども、彼らは清き1票で選ばれし選民だということも事実である。不思議な話である、自らの手で自らの首を絞めているのだけど、息絶えるまで力をこめられるものだろうか。
そう言えば小学校には『清く正しく美しく』と墨で書かれた大きな文字が三列に並んだ和紙が額縁に嵌め込まれて階段の上がりぎわに整然と鎮座していたのを思い起こす。ずいぶんといにしえのことのようだけども、そうやって倫理観を教育されてきたはずなのだけど、いつのまにやら大人ということばに翻弄されて気付いてみればお金にまみれるようになるのかも知れない。でも貧そであるが故に尊さが保たれるようになるのかも知れない。
いつの世も金と権力に動かされてきたわけだけれども、科学の進歩を考えると多くの労働は自動化される。この先は特に知的労働ですらもAIにとって変わるのだろうけど、週休5日や6日になりワークシェアリングに移行できるのだろうか?いつのまにやら労働者の要求は衰え富の偏りは大きくなっている。累進課税も緩和されてしまったせいなのか相続税の掛け方も少額資産のものからも取るようになってきている。都心などでは住居が相続できないようのではないか、だから特例で住んでいる住居の相続負担を軽くしてはいるけど、どうみても弱者から搾り取ろうとしているようにしか思えない。これではいわゆる中産階級が死滅して倫理観も薄れてゆくのではないだろうか。なにせ範を示すべきものが自ら作る穴の空いた法の中でふんぞりかえって、いけしゃあしゃあとしているのだから。。。