マイケル・Kを読んでみた J.M.クッツェー 著  くぼたのぞみ 訳

  表題を見る限りカフカのKを連想するのだけど、どうもそうではないらしい。でも本の中身はカフカの掟の門前を行ったり来たりしたように思えてならない。


 3部構成になっていて、1と3部はマイケルを物語手が導き、2部は医者が一人称で語っている。この2部はこの物語の解説でもあるかのようで、一般的な人間社会で思考される自問自答へとつながる。

 そもそもマイケルは動物のように生きているのであり、そのこと自体には意味がないように思え、読者が意味付けするように導かれているようだ。マイケルはケープタウンに棲んでいるけど、白人なのか黒人なのか判然とせず、とても貧乏なのだ。しかも、アパルトヘイトの時代に思われるのだから、これはある意味白人主義へのアンチテーゼとも思えるし、カフカの不条理のようにも思えるし、多様性への投げかけにも思える。

 また、キャンプ地から逃げ出すマイケルは自由なる尊厳を求めたのか、はたまた尊厳なる自由を求めたのだろうか。それとも人はパンだけで生きるにあらず、神の口から出る一つ一つの言葉で生きる預言を授かったのだろうか。いや話にキリストは出てこない。

 これを読みながら思い出したのは、クレジオの書いたアルマに出てくるドードーだけど、かれは浮浪者だったから施しの受け入れと言う点では別世界なのだろう。キャンプ地もまた隔離の壁だとKは言ってる。