実存主義といえばサルトルを思い出す。その通り、サルトルを中心とした実存主義哲学にそった人たちを振り返り、その方達の考え方や生き方が見事に語られれている。
サルトルの代表作は『存在と無』なのだけど、哲学書はどうどう巡りしているような気になってしまい難解に思えて読めない。ヒューマニズムという言葉も哲学から生まれたと思うのだが、ギリシャ哲学の信仰や神への内容からキリスト教と密接な関係で発展してきた背景から生まれた言葉で神に対しての人という意味合いのようだ。日本ではお宮参り、教会で結婚式、葬儀はお寺なんていう世界のため、唯一無二の神という概念が自分には無いし、仏様は人であり、天満宮に祀れれているのは菅原道真で人なのである。神と人との隔たりというものがあいまいなのです。なのでヒューマニズム=人間性と訳されると道徳感や倫理観、年寄りを敬うなどという考え方、つまり儒教の影響が色濃く出て違ったものになってしまいます。要するにもともと無神論に近い者は西洋の哲学に馴染みにくいように思えるのです。
本書のなかでサルトルは「哲学が欠けていたのは、立派な無神論や本物の無神論的哲学ではないかと思う。」これに対してボーヴォワールが「要するに、あなたは人間の哲学を生み出したかったんでしょ」
『存在と無』は読んでいませんが『嘔吐』は読みました。実存主義を現した小説とのことですが、フランスのブルジョワの物憂げな自由空間とジャズを覚えています。実存とは先に存在があって自身の自由の中に生きて人生を自ら意味付けるものだと思うのですが、それを強く意識したのはカミュの『シーシュポスの神話』です。カミュの代表作としては『異邦人』が有名で、これも実存主義を現した小説ですけど、その意味合いは難解に思えます。
時代背景を丹念になぞりながら、サルトルやボーヴォワール、ハイデッカーの遍歴を紹介してくれて、考え方の推移や転向がわかりやすく助かります。メルロ=ポンティの『知覚の現象学』の説明を読んでいるともっとも身近に感じ、どのようなことでも自分の感覚を通して存在を知るのだと思います。こういう時代を経て今があるのを感じる作品だと思います。