ゴールドベルク変奏曲 バッハ
デェビュー作にして一躍有名なピアニストへ押し上げた作品。兎に角演奏時間が短い、ということは弾くピッチがとても速いということなのだけど、グレンの曲しか聴いたことがないので、何の違和感もなくスポーツカーに乗ったように景色が飛び去ってゆく開放感に浸ってしまう。
この曲を弾く人がいなくて、このデビュー作がきっかけで他の方に取り上げられるようになったようだ。グレンが弾くからなのかも知れないけど、バッハらしさは無くちょっとスリリングな現代音楽に聴こえてしまう。
1955年の録音だけどリマスターしたSONYのモノラル版をCDで買った。もともとがモノラル録音でステレオに変更したものもあるけれど、やっぱりオリジナルに近い方がいいと思い、こっちにしたのだけど大正解。とっても音が良く、ピアノのタッチが溢れてくるようなリマスターでした。
ピアノソナタ#1, #2, #3, #15 ベートーヴェン
これはレコード、買った当初はスクラッチノイズがひどくて、仕方がなく毛先の細い歯ブラシと石鹸で何度か洗ったら随分綺麗になった。強くこすらずに早くこするのがポイント。
これがまた実にいいピアノで聴き入ってしまう。なにせベートーヴェンらしくなくって、これもまたちょっと現代風な音になる。不思議なピアニストだと思う。しかも、ハミングしてる。最初なんの音が混じってるのかしらんと思ったのだけど、どう聴いても唄ってる。よく外野の人の音や鼻息が入るのはあるけれど、これがとても面白い。ピアノの伴奏に伴奏が重なるようでなんだかほんわかしてくる。
グレンのピアノの音はピアノらしいピアノと言ったら変なのかも知れないけど、自分がピアノの音として認識してきた音だと思う。ホロヴィッツは軽やかな高い響き、ゼルキンガシガシとしっかり打ち込む音、ケンプはどこか背筋がピンとしてくる雰囲気、アシュケナージは鮮明、リヒテルはシャープなんだけど流れるような高揚感がする。なんだけどグレンはピアノだぁと感じてしまうのが不思議。
シェーンベルクのピアノ曲
OP11, 23, 19, 33, 1, 2, 15が2枚のレコードに収められている。ソプラノも入って浄夜を思わせるようなメロディも聴けてシェーンベルクらしさも味わえるけど、ピアノ独奏曲はシェーンベルクの現代音楽の序章を飛び越えて、まさしく現代音楽になってしまい、ジャンルさえも飛び越えてゆくように思える。
シェーンベルクはゼルキンの師でもあるそうで、古典を大事にして基本を忠実に教えていたそうだ。無調の音楽を作った現代音楽もまた基礎があるからこそだということなのでしょうが、ピアノ独奏曲はとっても暗い。そしておののきが忍び寄る音の造り方は白髪一雄の抽象画を思い起こす。
平均律クラウディーア曲集第1巻 バッハ
バッハの鍵盤楽器作品で第1巻と第2巻があり、レコードを買えたのは第1巻の方です。平均律とは1オクターブを均等に分割したもので半音の高さが均一だということなのです。そもそもピタゴラスが音律を数学的に著わしていることさえ、随分と齢を重ねてから知るぐらい音楽を聴いていても音学は知らなかった。だからコンピューターで音楽が作れるわけである。
さてさてとバッハの曲だけれども、グレン・グールドが弾くとゴルトベルク変奏曲と同様にバロック調ではなくなり、グールド調になってしまう。これが実に不思議なのだが、ベートーベンもグールド調になってしまい、この平均律クラウディーアとベートーベン・ピアノソナタの1-2番が同じ雰囲気になってしまう。
でも、そんなグレン・グールドの世界は身をゆだねるのが愉しい。強いわけでもなく柔らかいわけでもなく響きに可憐さや端正が出ているようでもない。それでいて何かしら包み込んでくるような、胎盤の中でゆられているような気分になり、まだ自分は世にでなくてもいいのではないかと諭されているかのようだ。ピアニストではなく空音域の作家のようだ。