青春期の孫娘サイの家族を取り巻くインドの日常がブルーグレイな色彩を帯びて流れてゆく。家の住人の老いや若い時の日々が徒然に織りなす中に、忘れてきたものがある。
非常に滑らかな文体の中にインドの複雑な文化と悲哀が交錯し、多種な種族と宗教の狭間の中に揺れ動く心模様が模写される。ドキュメンタリーな描写には優れているけれど内面的な柔らかなタッチは行間からは滲むことはないけれど、生活の風合いはよく見える。
邦題から青春の儚さを思い起こさせるし、9割ほどはそのように感じるけれど、残りの1割を読めば、そうでは無いことに気づく。初めはこの小説そのものが喪失なのかと思い、文体とのギャップに違和感を覚える。
清楚でみずみずしい文に作家がわざわざ生み出した話を喪失したいわけでもなかろう。余りにも不自然だったので、原題を直訳したら『喪失の継承』であった。それを見た時に合点がいった。
邦題は売るための題になることが多いのだけど、純文学のような小説の本質を損なうようなタイトルをつけるのは恥を文化とする国としては物悲しい。
インドへ何回も行き、深い河を書いた遠藤周作はどう思うのだろうと独り言ちた。