カラマーゾフの兄弟 中巻を読んでみた ドストエフスキー著 江川卓訳

 カラマーゾフの兄弟の中巻です。この物語の主人公は三男のアリョーシャと書かれていますが、中巻をほぼ占めているのは長兄のドミートリ‐(ミーチャ)で、本当は長兄が主人公なのではと思ってしまいます。とても見栄っ張りで激高し易く暴言や暴力沙汰になることもしばしばで、父とは女をめぐって恋敵になり、遺産分配においても紛争しており、人間の欲を一身に詰め込まれているような描かれ方ですが、高潔な一面を併せ持つところが人の道の苦難を表しているようです。近くにいたらたいそう面倒くさい人ですが、ドラマの中で見る限りは奔放で自業自得なのですが、情にほだされる憐みのある人のように思えます。

 恋するグルーシェンカと駆け落ちしたいのだが、婚約者のカテリーナから預かったお金を無算講に散在したことが心の棘になり、何としても返したいためにお金の工面をするが人に危害を加えてしまうと同時にグルーシェンカが元の恋人の所へ呼び戻されることを知り、自殺しようと決めてグルーシェンカを追いかけて死ぬ前に豪遊する。絶望と天国が繰り返され、まさにTo be, or not to be.のように劇的な展開です。そして父親殺しの嫌疑を掛けられて赦しに目覚めるわけです。サスペンスの構造として用意周到ですし、所作の描写もすごいけれど内面の移り変わりの描写もすごい、何ゆえに高潔であるか、またそれを他人はどう受け止めるのか、論理的な思考が他人から見ると奇異に映るコントラストも見事に書かれている。
 欲と愛、彷徨える魂、禁忌の親殺し、と渾然たる人の生のなかに神が宿る。神と人は遠い哲学ではなく、生活のなかにこそ存在する物として描かれているのではないだろうか。中巻はサスペンスとしてだけ読んでも卓越していると思う。

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マランツ#7と同じ回路のフォノイコライザー

 マランツ#7のプリアンプはとても高くて手足がでませんが、フォノイコライザー部をコピーしたモデルなら手が届いたので買ってみた。キット基板が出ているのだが、電源部やDC化部分を作るのに知識がないため、どうしたものかと手をこまねいていたのだが、その完成版がネットで売られていた。しかも、ブラックビューティーを使ってあり、部品だけでもそれなりの金額になることを考えると大変ありがたいと思う。


 回路を見るとキット基板はMC対応になっているが、本気はMMのみの対応のため、MC回路に部品が取り付けてありません。MCに関してはトランスが入るので無くてOKです。あと、B電源の整流化回路が半波整流回路(倍電圧半波整流回路と思われる)から、東栄変成器トランスのセンタータップを使った両波整流回路に変更されている。電解コンデンサーはドイツのROE社でカップリングコンデンサーにブラックビューティー、ブラックキャット、NFB回路のコンデンサーはマイカ(だと思う)で配線はモガミを使い、半田付けを見ると趣味でアンプを自作している手練れた人の作品だと思う。真空管は3本あるけれど、L側に1本、R側に1本で第1段と第2段は同じ真空管を使う構成で松下製がついている。第3段はJJ-Electronicでスロバキア共和国の会社です。そのうちにムラードの球を付けてみたいのだが、LRで各一本だから揃ったやつを買わないとバランスが崩れるのだろうか。


 ずっとトランジスタばかり使ってきたので真空管の使い方を今一分かっていませんが、瀬川さんの書かれたオーディオABCを思い出して使う。レコードに針を降ろして出てきた音は想像していたものと随分違う。真空管ってほんわりと暖かでまろやかだと勝手に思ってましたが、音像が明瞭で明るくて伸びがあります。ヤマハA2000のトランジスタEQと比べても音の立ち上がり立下りの速さは変わりません。高音域の伸びはA2000の方が好きですが、中高音域の艶っぽさはマランツタイプEQの方が好きです。フォノイコライザーだけでも随分と音が違って面白いし、ピックアップやトランスの組合せでも変わるので愉しみが増えて悦ばしい。マランツ#7の音を聞いたことがないので、この音が近いのかどうかも分かりませんが、ジャンルを問わず味のある音楽を聴けます。ジャズヴォーカルのキャロル・スローン4を聴くとベースの低音がズーンと響き、ちょっとハスキーで艶のある声量が聴こえてきます。マイクがセンターの少し高い位置にあり、口の開きや呼吸がリアルに浮かんでくる。目を閉じてロックグラスがあればラ・ラ・ランドのSeb’sになれるだろう。





カーラ・ボノフを聴く

 カーラ・ボノフの『ささやく夜』は若いころに良く聴いたアルバムで、FMでも一時期この曲ばかり流れていたように思える。1979年の発売だから随分と古い話だけど、カセットテープがあるはずなんですが見当たらないのでCDを買ってしまった。同時期にJDサウザーの『You're Only Lonely』はレコードを持っているのですが、同じウエストコーストサウンドで二人一緒に来日もしていました。楽曲の雰囲気も結構似ていて、まったりとほんわかとした曲調です。

 ちょっとカントリー調の雰囲気もある女性ヴォーカルは他に覚えが無くて、よりポップ、ロック、R&Bになってしまうので意外と稀有な存在のように思えるから、いつまでも記憶の残っているんですよ、だから結局買ってしまったわけで、聴いて直ぐに、「あーそうそう、これこれ」ってなったわけです。地味ですけど、そこがまたいいんです。

ペギー・リーの甘い歌声を聴く

 ペギー・リーはグラミー賞に何回もノミネートされ、ポップヴォーカル賞を受賞し映画にも出演しているので、ジャズ歌手というイメージはないのですが、もともとはベニーグッドマンに所属して歌っていたから、ジャズシンガーとしてこのLPを聴いてますけど、甘ったるい声でI Like Menなんて歌われてニヤケテしまうし、高い声は綺麗なソプラノになるから、やっぱりポップスなんでしょう。

 このLPは1959年録音なので39歳のときの唄声ですが、10歳は若い声色で誘惑されます。ヒット曲ではミスタ・ワンダフルなんかを思い出しますが、自分でも作曲しているのでシンガーソングライターの奔りでもあるんですね。明るい歌声で古き良き時代の優しさが滲み出てきて何ともほんわかするので、なんとなく気落ちしたときなんかに良く聴きます。

マカダミアナッツがてんこ盛りのケーキ

 バスク・オ・ショコラ・マカダミアと命名されたケーキ、以前から一度食べてみたいと思っていたのですが、値段が高いものだから買いそびれてました。しかし、今回はカミさんの誕生日祝いなので躊躇なく選んでしまいました。
 黒くてこんもりしてるだけで見た目と価格は合わないのですが、チョコレートが美味しそうなのは判る。子どもの頃からチョコレートは好きで、今でも小腹が空いたら口に含んでいる。なかなかこんなに濃い色にはならないから、原材料もいいものだと思える。


 今日はちょっとコーヒーの豆を多めにして、じわじわとお湯を注ぎ濃い目に落としている。ケーキのショコラに負けないようにである。さてと準備も万端そろい、スプーンをケーキに入れると固い。どこを触っても固く、丸っこい粒と粒の切れ目に入れてみると、なんとマカダミアナッツがてんこ盛り、表面のショコラが厚く、しかもその下にはチョコの生クリームが入りマカダミアナッツをくるんでいる。
 ちょうどスプーンに1個の適度な大きさで取れる。口に含むととても苦いココアの味、やっぱり美味しいチョコである。これは旨い苦さで直ぐにチョコの生クリームの甘さが拡がってくる。
 そして、ナッツを噛むとパシッと心地よい音とともに砕け、噛み心地の良いことこの上ない。マカダミアナッツは適度に油脂を含み、ナッツの王様らしい味わいが押し寄せてくる。噛めば噛むほどにチョコの苦さ、生クリームの甘さ、ナッツの食感が混ざって美味しい。
 しかも、ほとんどがマカダミアナッツでてんこ盛り、あっと言う間にナッツがなくなって円盤の生地が現れる。この生地がまた美味しく、煎れたコーヒーとともに満足そうになくなってしまった。
 このケーキはシェ・シバタ本店で買いました。シバタさんのつくるケーキはどれも造形美が美しく、まさに創られた宝石のようなケーキなんです。スポンジのあるものはほとんどなくて、タルト生地を固く焼いた小さなカップに、各種フルーツのクリームがふんだんに盛られていて観るだけでも楽しさ倍増です。

ダイソーで買った部材でAC-400Cの防振対策

 ターンテーブルに伝わる振動については、重量のあるラックに載っていて2台のアンプもやたら重たいのでずっと気にしていなかった。安普請な家の2階のフロアが薄くて響くことはわかっているので、ターンテーブルよりスピーカーの台座の方が気になっていた。でも、QL-A75にオーディオクラフトのトーンアームAC-400Cを付けてレコードを聴いているときに、ドシドシと歩いたら音飛びとまではいかないけど僅かに音が上ずるのだ。
 しかも、フロアのある場所の時にだけふら付く。隣のQL-Y7を含めてジンバルサポートのトーンアームではビビらない、それだけやじろべえ方式の1点支持しているAC-400Cが敏感なんだと思う。では音の違いもあるだろうとなるのだけど、カートリッジやフォノイコライザなど同じ接続でアームを切り替えて聴いたことがないので良くわからない。
 QL-A75はストーレートアームなのでカートリッジを付け替えるのが面倒だ。カートリッジの性能を引き出そうと思うと軽い針圧の方が難しいと思う。これに軽いアームで組合わせるとより難しくなるようだ。針は振動して音を拾うことを考えるとレコードが平面でアームも水平、針だけが振動するのが理想だろうけどそうはいかない。
 アームはバランスをとっているのでアーム自体の重さは関係ないように見えるけど、軸に掛かる自重は違うし共振する振動数も変わる。軽いストレートアームにピカリングのXUV4500Qをブラシ付きでレコード聴くとサ行が上ずってきつくなる。いわゆるヒステリックな感じになるのだ。これに困ってブラシを外しアルミ製のシェルにつけてAC-400Cで聴いてみると直ってしまった。


 さて問題の足音の振動対策なのだが、方策がいろいろありすぎる。なので、できる限り安価にできることを考えてみた。最初に考えたのはコーリアンボードで、パンのコネ板としても売っているから安価なものもある。でも、商品説明にデュポン社製と明記してある商品が無く、厚みも10㎜ぐらいまでが一般的なため躊躇する。
 つぎは防振ゴムなのだが、厚みがあって弾力性の高いものはフラフラしそうで気持ちが悪い。良さそうなのはDJが使っているインシュレーターだけど、高価すぎて対象にならない。それにスクラッチするような使い方はしない。
 1㎜ぐらいの厚みのゴムマットをスピーカーの下に引くとスタンドとの共振が消えて音の立上がりが綺麗になることはあるけれど、ターンテーブルが出す振動を抑えるのではなく、伝わる方を抑えたいのだし、ドスンドスンという床のうねりだから振動の大きさも違う。
 考えてみれば床の揺れなのだから耐震ゴムでもいいのではないかと考えてダイソーに行ってみた。家電製品を地震で倒れるのを防ぐ商品がある。大きさは50×50×3㎜と厚みも薄く、試しに買ってみた。貼ってみると具合は良いのだが、ターンテーブルのインシュレーターくっついてしまい位置調整がままならないし、インシュレーターの方が僅かに大きくはみだしてしまう。そこで、更に振動を吸収して台座になりそうなコルクのコースターを同じくダイソーで買ってきた。耐震ゴムの上にコルクのコースターを置いてターンテーブルを載せれば位置調整も楽に決まる。
 ドスンドスンと動いた時の音の歪は解消できた。音質はどうかと言うと変わりはないようだ。しかし、なぜかセンターに置いたテーブルにグラスをゴツンと置くと僅かに上ずる。どうも違う振動数の対策が要るようだ。それにしても100円で地震対策のできる商品をよく作ったものだ。


 ところが、違う振動対策の問題ではなかった。歩いても特定の場所だとノイズが出る。しかも、左側のスピーカーだけから出るのだ。オペアンプで製作したフォノイコライザの前を歩くとおかしいので、器材のフレームをコツコツと人差し指で叩いてみたらノイズが出る。
 うーん、部品を無理やり付けているので配線のコネクタが緩むのかもしれないと思い天板を開け、左チャンネルの基板を叩くとノイズが出たので間違いない。
 次に部品ごとに優しくラジオペンチで叩くとオイルコンデンサが怪しい、裏側をよく見てみると半田がのっていないようだ。どうも、ポリエステルコンデンサの容量を間違えて付け直した時に誤って半田を吸い取ってしまったようだ。よくもまぁこれで音が出ていたもんだ。半田を直すと叩いてもノイズが出なくなった。もっと半田付けが上手くなったら音も良くなるんだろう。


Stereo誌2004年3月号のブラインドテスト

 アナログアンプとデジタルアンプを当てるテストの記事を興味深く眺めていた。音の違いは分かるけど、メーカーと価格は分からないと思う。まずは、雑誌のテスト環境を記す。

 ・被験者 4名
 ・デジタルアンプ 6台 9,800~1,000,000円
 ・アナログアンプ 2台 120,000円 3,300,000円
 ・スピーカー、プレーヤー、ソースは不明

 結果
 ・アナログアンプと言い当てたのは1名だけで、3,300,000円のアンプは全員がデジタルと評価
 ・音質の評価はデジタル1,000,000円が1位でアナログ3,300,000円が最下位


 3,300,000円のアンプはアキュフェーズのセパレートアンプなのが面白い。デジタルだと評価されるのはよく解る。分解能が高く一音一音を鮮明にスピード感に優れ、ダンピングファクターの効いた音だから、スピーカーによっては味気ない音に聴こえると思う。音質と言うのはデジタルかアナログではなくプリアンプの影響を強く受けるし、デジタルのDAC部分は分解能を左右しているけど、音質に関してはオペアンプ等のアナログ回路に左右されるようだ。
 これがスピーカーのブラインドテストでも似たような結果になると思われる。音質のことだけを言えば、常用しているイヤフォンとMacでも良い音がしているし、最近のカーステレオも侮れない。特にイヤフォンなんかは耳骨を通るから低音なんかでも驚くほど出てくる。
 あのベートーヴェンが難聴になった時、タクトを加えてピアノの振動から音を拾っていたというぐらいだ。そうやって考えると、そもそも音質という人の嗜好に沿った解釈で評価するのは指標が間違っているのではないか。イヤフォンで定位の良い音像は現れない、なにせ前後の距離感を僕はつかめない。
 スピーカーとアンプの種類や組合せによっては、アンサンブルとしての音が良くても各楽器がどこで鳴っているのか、ひどい時にはトランペットとトロンボーンとサックスの音がごっちゃで聴き分けられない。ましてやオーケストラの楽器が一緒になっていたらさっぱりわからない。ここまでひどくはないけど、自分のLS3/5aでは定位がぼやける傾向にある。なので、楽器の種類と位置、艶-スッキリを音量の大小に分けて聴き分けテストをするのが良いと思う。
 あとは、各々が良くても音楽にならない時があるので、これをどう評価したらいいのかと悩むところだが、好き‐嫌いの評価を足してみてはと思う。自宅のアキュフェーズE-470+タンノイPrecision6.2LEの組合せは、スッキリな方でヘレン・メリルを聴くとちょっと味気ない。OrtofonGE+Ortofon6600+ヤマハA2000+LS3/5aで聴くと艶が出て雰囲気は出る(モノラルなので定位は気にならない)。なにせ、カートリッジやトランス、アンプなどの組合せを替えて聴いていると、前回こんな音だったかしら?などと思うことがしばしばある。聴く方も変化しているのだろう。しかし、自分が購入した機材だと試行錯誤するうちに似たような音色になっていくようである。好感を持った音の機材を買っているので当然なのかも知れない。


 機材の修理をしているときにLS3/5aで音楽をかけていたら驚いた。スピーカーのLとRの距離は1.8mほどであり、いつもは正三角形になる位置で聴いているのだが、この時は正三角形の中心ぐらいで聴くことになった。そうしたら、音像の定位がよく解る。スピーカーの位置はもう少し高いと良いのだが、壁に掛ける位置がないのが残念だ。ステージの下で、かぶりつきで聴くようで楽しい。

初夏に咲く赤くて大きな花びらの草花

 綺麗な花が咲きほこる家の角地に大きな花びらの赤い花がこちらを見あげています。その直ぐ側には黄色いチューリップが仲良く並んでいて、とても彩りが春から夏へ向かい、少し汗ばむ陽射しの中を薫風を嗅ぎながら歩いてきたところでした。赤い花に呼び寄せられてきたのはいいのですが、見たことがあり名前もしっているように思えるのに出てきません。うーん、なんだか違う汗をかいているような気がしてきた。

 さて、仕方がないので画像検索です。最初に出てきたのはoriental poppy、オニゲシですが、花の様子も違うし葉の形も違うようです。検索された画像を縦スクロールしながら似たものを探してゆくとアネモネに当たりました。これもいろいろな花の形があるので、ドンピシャなのかどうかわかりませんが、これのように思います。アネモネなら花の名はしっているし、見たことがあるはずです。アネモネは球根で隣のチューリップも球根ですからとなんら因果関係もないのに勝手に納得です。花言葉は『はかない夢』だそうですが、花を見るとそうは思えないほど原色であり活き活きと見えるんです。ちなみにイスラエルの国花のようです。

カラマーゾフの兄弟 上巻 を読んでみた ドストエフスキー著 江川卓訳

 30年ぶりぐらいにカラマーゾフの兄弟(上巻)を読みました。ドストエフスキーの本はどれを読んでも卓越した冗長とも言える心情描写にただただ感嘆し引き摺り込まれるのですが、いつも訳者は江川卓さんなので訳者の方の技量も秀逸なのだと思います。余談ですが、作新学院の江川卓さんと同姓同名なんですよ、どちらも怪物ですね。ドストエフスキーの長編は罪と罰以降、刑事・サスペンスという側面から見ても面白いのですが、最後の長編となる本書では更に昼のメロドラマの愛憎劇が加味されている。だからこそ人としての救いが求められ、人とは何かという壮大なテーゼがあり、日常の傍らにこそ哲学があることを思い知らされる。1880年刊行ではるけれど、輝きは失われず、実にエキセントリックでドラマチックで低俗で高尚で不条理である。

 父フョードルは情欲で金の亡者のようにフィーチャーされているけれど、それは人間の本能であり、その本能から苦悩が生まれ救いが必要であり、宗教による矯正もしくは秩序が求められることを巧みな構成の中に映し出している。そして父の対照となる三男アリョーシャは心優しく穏やかで僧院で見習いをしている。そのアリョーシャに論文を掲載している学者肌の次男イワンは「お前にもカラマーゾフの血は流れている。」と告げる。そしてそのことに深く理知的に悩んでいるのがイワンだと思える。そして腹違いの長男ドミートリーは父のライバルである。より父に似てはいるのだけど高潔でありたいと思う分だけ、苦悩が激しく肉体派なだけに混乱が大きいようだ。こんな彼らを緻密に描き上げてゆく、ここでアリョーシャの描写を抜粋してみる。『彼が恐れたのは、彼女がいったい何の話を持ち出し、自分がどう答えてよいかわからないということではなかった。また、概して彼女の内なる女性を恐れたわけでもなかった。もちろん彼は女というものをろくに知らなかったが、それでもやはり、ごく幼い時から修道院に入るまで、ずっと女ばかり相手に暮らしてきたのだ。彼が恐れたのは、まさにほかならぬカテリーナという女性だった。はじめて会ったときから、彼女がこわかった。彼女に会ったのは全部で一、二度、多くても三度くらいだし、一度は偶然にいくつか言葉をかわしたことさえあった。彼女の面影は、美しい、気位の高い、高圧的な娘として、記憶に残っていた。しかし、彼を苦しめていたのは、彼女の美しさではなく、何かほかのものだった。つまり、自分の恐怖を説明できぬことが、今その恐ろしさをいっそう強めていた。あの令嬢の目的がきわめてりっぱなものであることは、彼にもわかっていた。』いったい何行あるのだろう、拙者だと1行で十分終わってしまう。この調子で続くのだから長編になるわけであるが、スラスラと読むうちにその場に居合わせているように錯覚する。

 本書は上・中・下と三巻に分かれているのだけど、この上巻だけで止まってしまってもそれはそれでいいのかもしれない。上巻の最終部に大審問官と題したカラマーゾフのテーゼがあり、それこそ扉無き人の迷いがある。30年の月日が流れても、この大審問官だけは心に留まっている。中世カトリックの組織であるが故の人の本性と教えの矛盾の中に不条理はあり、生と死と神と人、何がゆえに『人はパンのみにて生きるにあらず』と残したのであろうか。何も語らず、唇に触れて去りる。作家としては第2部の序章であるのだけど、上巻の終わりになっている。30年間、深淵を覗かないように遠巻きにしてきたし、これからもそうでありたい。そして、何も語らず触れることはわかる。

カラマーゾフの兄弟 中巻
カラマーゾフの兄弟 下巻

椿の花びらで敷き詰まった絨毯

 椿の花は首の元から落ちるので、花びらが舞って散らかるようなことが無いから大きな椿の下は紅い絨毯をひいたようになり贅沢な道ができる。でも、見舞いに椿の花を持っていく首から落ちるので縁起が悪いと言われる。

 濃い緑の椿の葉の下が、僅かに薄い紅とオシベ、メシベの白さが斑点のように交り、絵柄を織り込んでいるかのように敷き詰められて出来上がる。花で敷き詰めた道を歩くと心も華やかで美しくなれる。