カラマーゾフの兄弟 中巻を読んでみた ドストエフスキー著 江川卓訳

 カラマーゾフの兄弟の中巻です。この物語の主人公は三男のアリョーシャと書かれていますが、中巻をほぼ占めているのは長兄のドミートリ‐(ミーチャ)で、本当は長兄が主人公なのではと思ってしまいます。とても見栄っ張りで激高し易く暴言や暴力沙汰になることもしばしばで、父とは女をめぐって恋敵になり、遺産分配においても紛争しており、人間の欲を一身に詰め込まれているような描かれ方ですが、高潔な一面を併せ持つところが人の道の苦難を表しているようです。近くにいたらたいそう面倒くさい人ですが、ドラマの中で見る限りは奔放で自業自得なのですが、情にほだされる憐みのある人のように思えます。

 恋するグルーシェンカと駆け落ちしたいのだが、婚約者のカテリーナから預かったお金を無算講に散在したことが心の棘になり、何としても返したいためにお金の工面をするが人に危害を加えてしまうと同時にグルーシェンカが元の恋人の所へ呼び戻されることを知り、自殺しようと決めてグルーシェンカを追いかけて死ぬ前に豪遊する。絶望と天国が繰り返され、まさにTo be, or not to be.のように劇的な展開です。そして父親殺しの嫌疑を掛けられて赦しに目覚めるわけです。サスペンスの構造として用意周到ですし、所作の描写もすごいけれど内面の移り変わりの描写もすごい、何ゆえに高潔であるか、またそれを他人はどう受け止めるのか、論理的な思考が他人から見ると奇異に映るコントラストも見事に書かれている。
 欲と愛、彷徨える魂、禁忌の親殺し、と渾然たる人の生のなかに神が宿る。神と人は遠い哲学ではなく、生活のなかにこそ存在する物として描かれているのではないだろうか。中巻はサスペンスとしてだけ読んでも卓越していると思う。

カラマーゾフの兄弟 上巻
カラマーゾフの兄弟 下巻