小学生の頃は六畳一間に一口コンロと炊飯器があるだけで親子三人が暮らしていた。今、考えてみると貧乏だったわけだ。友達の家に行ったり、津島のおばあちゃん家に行くと、部屋がいくつもあるから走り回っていたけど、自分家が貧乏だと思ったことは一度もなかった。部屋の入口の角に一口コンロとガスの炊飯器が置いてあり、どうやって料理していたのかちっとも思い出せない。脚を折りたためる丸いちゃぶ台で家族三人一緒にご飯を毎日食べていた。勉強もちゃぶ台の上だった。そんなころに父親は何を思ったのか知らないけど、美術館に連れて行かれ、ムンクの叫びの前でなぜか棒立ちになってしまい、ボゥーっとしていたら夕焼けの背景がこびりついてしまった。そして、中学へ上がるころにカフカの変身をくれた。薄っぺらな本でカフカの写真がぼやけていてなんやら寂しげにみえる。頬を両手にあてるとムンクの橋の上の人に診えてくる。その記憶がいまだに僕を支配していて叫びと変身は同じかほりがするのだ。
中学生になると借りているアパートの別部屋を借りてもらい勉強部屋を作ってくれた。その時に初めて自分の椅子と机を持って、勉強をするわけでもないのに自分の城を持ったようで意味もなく嬉しかった。そして父親は、なんと自動車を買ったのだ。もうこれにはビックリ!よく買えたなあと今でも思う。最初のころは父親の運転も怖かったけど、ほどなくスムーズなドライブで家族三人そろって、いろんなところへ出かけて行った。朝の日が顔を出すのを見ながら家を出て、とっぷりと暮れた遅い時間に帰ってきた。父親一人で長時間のドライブだけど、楽しそうに運転していたのを思い出す。まだ休みは日曜日だけという時代で、細くて背中に傷跡もある身体のどこにそんな体力があるのか、父に似て僕も細くて体力不足を感じることを思うと不思議でしょうがない。
大学生になると自由な時間が増えてバイトと遊びに多忙だったので、家には寝に帰ってたようなものだ。そして、両親は念願のマイホームを手に入れたのだけど、僕には空間が広がっただけのように思えた。きっと、狭いアパート暮らしが長くて、家という外見的なものにこだわりが無いのだと思う。そんな僕が今では自分の持ち家があり、家の中にはゴッホやらピカソやら息子が画いた絵やらが壁を飾ってあり、本棚には絵本と児童文学シリーズが並んでいる。そんな息子たちも一人立ちしてカミさんと二人きりだし、実家はおふくろが一人で暮らしている。家の間数が増えただけ、かほりが薄らいだだけのように想えて仕方がない今日このごろだ。