通過儀礼 ウィリアム・ゴールディング著

 久しぶりにこんなに文体の上手い本に出遭った。情景描写から人々の心のざわつきや性格が見事に浮き上がってくるし、風景も良く見える。直接的な形容詞であらわすのではなく、ひとつひとつの所作から人の機微が伝わってくる。文体が上手だなぁと感じた作家は何と言っても川端康成、そしてJ・D・サリンジャーだった。ウィリアム・ゴールディングは蠅の王を読んだ時には感じられなかったけど通過儀礼はとても上手いと思う。文章を読んでいくうちに次の文を読みたくなる。ふつうはストーリーの展開を読みたくなるものだけど、文体の上手い本は文に引き込まれる。それだけで随分と面白い。ノーベル文学賞とブッカー賞を受賞していることがよく解かる。

 イギリスからオーストラリアへ向かう帆船の中の話だから、18世紀ごろになるのでしょうか。そこに乗り合わせた若い青年の貴族と牧師の日記を通して起きた出来事を綴ってくれる。蠅の王では孤島でこちらは帆船だけど、いずれも大地からは切り離されて閉ざされた空間である。若い貴族の文体は大言壮語でもったいぶった節回しが面白くいかにも重役につかんとする青年貴族を思わせ、若い牧師の日記は清楚でシリアスな文体で線が細く一本気で無垢な生い立ちを彷彿とさせてくれる。題名が通過儀礼とあり、人生における節目の式であったり、青春から大人へと移り変わる時の変化などを表すようで、そのような面が描かれているけれど、素直にそうだと言い切れないところがあってわだかまりが残る。蠅の王では人の奥底にある課題が投げ出されたけれど、ここでは少しばかりの回答が書かれているように思える。ただそれが、ノブレス・オブリージュやフェア、そして正義では心もとない。結局のところ定義によってしまうし、牧師の行動は正義なのだろうか?やっぱり、テーゼを置いて行かれる。