オットー・クレンペラー指揮の大地の歌を聴く

 マーラー作曲の大地の歌を聴きながら焼酎を呑んでいる。まさに酒と歌なのは、この曲の詩は李白だからである。『花さく木々のもと、壺いっぱいに満ちた酒。 独り酌んでは飲むだけで、ともに親しむ相手がいない。杯を高く挙げて、明月を招きよせ、わたしの影と対いあえば、三人の仲間となった。…』と続く「月下独酌」なる詩は酒仙として我を励ましてくれる。マーラーが酒好きだったとは聞いたことが無いけど、酒を友と思うのにとって掛け替えのない詩人の詩を交響曲にしちゃったのだから、独りでレコードを聴きながら酒宴をもようしているわけである。これで、遠い存在である李白とマーラーと三人の宴会だと独り言ちる。

 第1楽章は『大地の哀愁を歌う酒の歌』であり、ホルンの響きにテノールの唄声が地平の彼方へ届くかのように酒の雫とともに五臓六腑に染込んでくる。レコードの状態も良く録音も良い、オーケストラのテンションが気持ちよく伝わってきて名盤と言われるのがよく分かる。1964年と1966年にわたって録音されていて、フィルハーモニー&ニューフィルハーモニー管弦楽団と記されている。これは録音している1964年にロンドンにあるフィルハーモニー管弦楽団が経済的に破綻したため、ニューフィルハーモニー管弦楽団として再出発したためだと思われる。この時期の録音はマルチチャンネルで多重録音してミキシングされていないからオーケストラの音像空間が判り易く優れた録音だと思う。

 なぜ第9番交響曲としなかったのは、大作曲家は9番目で終わるジンクスからきているらしいけど結局10番は未完になるのだから、マーラーがそこにこだわったのだろうかと思っている。なにせ、大地の歌の副題に交響曲とあるようなのだから。