落語は寄席で聞くものだろうけど田舎では無理なので本を読む。昔から語られてきた小話には人生の皺が重なっていて、年代が変わるころに読み返すと自分の年頃がよく分かる。この本は春夏秋冬と4冊に分かれているので秋に読むには秋がよいだろうと言うことになる。
表紙の絵に描かれているのは、『目黒のさんま』という題目で大名の跡継ぎが馬乗りに出かけた後を家来が追っかけて行く場面から始まる小話だ。太平のころの江戸時代なので世間知らずな世継ぎの坊ちゃんが馬を駆って身勝手に遠乗りに出かけるのだが、あまり馬に乗りなれていないのでお尻が痛くなって目黒辺りで休憩していると身代を守る家来が慌てふためいて駆けてくる。急に飛び出てきたから弁当も何もないが、腹が減ってはいくさは出来ぬと相そうなって仕方なく家来が良い匂いのする近所の農家でサンマを分けてもらうが、サンマは庶民の肴で毒見がついている世継ぎが食べるものではなく、ましてやじゅうじゅうと唸っている焼き立てなんぞ食べたことが無い。そんなものを食べさせたと知れては家来も大変。さてさてどうなることやら、なんで目黒のさんまなのかにつながる分けだけど、それは読んでのお楽しみ。
左甚五郎と言えば江戸時代の超有名な大工。京都の知恩院では屋根に傘を置き忘れたと言って名所になっているし、日光東照宮の見猿、聞か猿、言わ猿の三猿の彫り物が超有名だ。実際に見ると、それほど大したものには見えないのが落ち。でも、この小話はちと違う。左甚五郎が旅に出て宿を探していると子供の客引きに会い情にほだされて宿を取るところから始まる。そのみすぼらしい宿の前にたいそう立派な宿があり、実はその立派な宿の主がいろいろあって、今の貧疎な宿の主になっている。その話を聞いて甚五郎は一体のネズミを掘って、桶の中に入れた。その桶の中をのぞくと一体のねずみが動くと話題になり商売が繁盛する。すると迎いの宿がさびれてゆくので、甚五郎と腕を競った大工に虎を彫ってもらう。さて、どうなりますことやら。
『子別れ』という夫婦の小話、主人公は大工の熊さんだから落語の定番のようなお人だ。酒の飲んだくれで女郎屋通いとこれまたよくある話。世話になった大店の旦那が亡くなり葬儀に行ったまま4日ほど家を空けたから、家の門前で入りづらくあれこれと言いつくろう筋書きを悩んでいる。でも結局は、売り言葉に買い言葉で大ゲンカ、収拾がつかず別れてしまう。子どもは母親が引取り苦労して育て年が過ぎてゆく、そして子供と道で出くわすところから復縁してめでたし愛でたし、子は鎹。
『死神』という何とも物騒な小話。お金の工面に困って、ふと死のうかと思ったら死神が出てきてお金儲けの仕方を教えてくれる。「あじゃらかもくれん、アルジェリア、てれけっつのぱあー」と呪文を唱えれば助かるもんは助かる。もっとも枕元に死神が座っていると助からない。こんないい商売だから一文無しからおお金持ちになるけど、所詮あぶく銭で身に付かず、運を突き放す様な生活をするものだから災いが降ってくる。蝋燭の火が寿命の話はこれから出たんだとよく分かった。このお話は、昭和元禄落語心中というアニメの八雲師匠の十八番でも見られる。このアニメはとても良く出来ていてヒットしたから見られた方も多いでしょう。
子別れと死神などは文章で読んでいるだけでは、真価は伝わらないと思う。やっぱり落語は芸なのだと思う。田舎でも見られるようにYouTubeなんかで流してくれるといいよね。ライブ版は500円、ビデオ版は100円でやってくれたら、商売繁盛だと思うのだけど。