MM型の米国製カートリッジでピカリングの一流品と言われるカートリッジです。中古品を購入した時にオリジナルでない針がついていて、高音域でハウリングするなど困り、XSV3000の針に替えてみたけどヒステリックなところは同じで腰も高く、こういう傾向なのかと思ったりもした。
音律と音階の科学を読んでみた 小方厚 著
いやぁ実にありがたい本です。僕は音程が取れないし分からないし、五線譜も読めないときているので始末に悪い。そんな自分にとって論理的な理解ができかつ音楽の教養も身に着く本でした。
ピタゴラス音階から説明が始まり、音階と周波数の関係を現わしてくれて、音程の単位セントの話になる。音程の単位と言えば1度2度と呼ばれるものしか知らず、これが難解すぎて小学生時代にさっぱり分からなくなった。セントで教えてくれればもうちょっとマシだったように思える。
ピアノの白鍵が1度だけど、ずっと間のことだと思ったら同じ音程が1度だということすら間違っていた。そこへ同じ白鍵が並んでいると短2度なんて言われてもうパニックです。数学的に考えたらそんな呼び方をしないと思う。その点ピタゴラスは数学者なので、そんな呼称は使っていない。(もっともその当時にピアノはなかったけど)この度数の考えを小学校の教材に使うこと自体がおかしいと思う。半音を1度にすればいいことだと思う。
そのため、移動ドの時に意味がわからんかった。なんだどれもドなんじゃないかと思ったので、ハ長調やイ短調の意味もわからんかった。なぜハやイなんだと難解さは増すばかり。英語だとCメジャー、Aマイナーなわけで、実はこれでイロハが分ったというお粗末な話です。
平均律の話と転調の関係も分かりやすかったし、音楽の作曲と音階の歴史のつながりも丁寧に説明されていて、和音の組合せにおいてスティーブ・バイというロックギタリストまで聴かれているのには少々驚きです。最近のコンピュータを使えば音律を自在に変更できるので新しい音が出てくるのを愉しみにしています。
中央のぼんぼりと黄色の花弁がハッとするミツバオオハンドウソウ
散歩をしていると暑い日が続くのに真っ黄色の花が固まってひかってます。この時期に黄色の花と言えばひまわりですが、大きさが全然違いますし、真ん中の種ができる部分も小さいです。
よく見ると茎のさきが枝分かれしていて、花がいくつも連なって咲いてます。なんだか花びらが下を向き始めていて最盛期を過ぎたのかしらん。でも、鮮やかで綺麗です。でも、花の名はいつも通りわからないので検索です。
グーグルの画像検索では、ひまわりです。確かに構成は似ていますが、明らかに違います。似た花の画像を見ると似たものがありました。オオハンゴウソウやアラゲンハンゴウソウが似ていますが、葉の先が違うようです。さらに見るとルドベキアやキクイモも出てきましたが、やっぱり違います。
似た花の画像をくるくるとめくっていると、ミツバオオハンゴウソウが一番似ています。葉の先の形状もおんなじなので、きっとこれでしょう。漢字も出ていますが、すごい漢字ですね。この猛暑の中でも元気そうですから反骨精神が高いのでしょうか。ちょっと元気が湧いてきます。
ソニー・スティットを聴く : レヴュー
Boss Tenors Gene Ammonz & Sonny Stitt
ソニー・スティットはジャズのサックス奏者。アルバムFor Musicians Onlyでディジー・ガレスビーとスタン・ゲッツと共演し、アルトサックスがカッコイイのでクレジットを見たら彼だった。
ジーン・アモンズもサックス奏者で二人の掛け合いが実に心地良い。ソニーはテナーもアルトも吹いていて情感のあるジーンと情熱あるソニーの音の違いがソロの繰り返しで雰囲気を盛り上げてくれる。なかなか息の合ったコンビでこちらもグットのってくる。
有名な枯葉を二人で吹いていて、二人の味の良さを存分に引き出しくるので、一粒で二度おいしい。
Meets Sadik Hakim
ジャズピアニストのサディク・ハキムとの共演で1978年のアルバムですから、ソニー・スティットが54歳の時で亡くなる4年前の録音になります。
緩やかに始まる1曲目がなんとも年齢を重ねた渋い演奏が染込んできて、晩年のスティットの味わいが堪能できる。録音の年代からするとフュージョンの時代に入ってますが、往年の二人がスタンダードナンバーを艶やかに演じる様は落ち着きの中に轟きを含んでいて心地良い。
DSD64での復刻デジタルですが、レーベルが2xHDなのでいい仕事をしていて、彼らの演奏が蘇っています。
Kaleidoscope
1957年にリリースされたアルバムだけど、録音は1950~1952のニューヨークですから初期の演奏になります。
若さ溢れるサックスの音がどこまでも響く力強さに引き込まれてゆきます。ビバップの生気溢れる時代にエネルギーが迸ってるのがレコードを通じても感じる。こういう音ってレコードで聴くといいんですよね。
ソニー・スティットの音はなんだかどこかに艶がのるように思えます。アダレイの方が奔放な吹き方で味がでるのですが、スティットの艶ってのはなんだか女の色気みたいなことを感じるのは何故なんだろう。
Sonny Stitt sits in with The Oscar Peterson Trio
オスカー・ピーターソン・トリオをサイドメンにスティットが気持ちよく吹いている1959年のアルバムです。
A面はアルトサックスで、曲はチャーリー・パーカーが吹いていたから取り上げたようです。パーカーにあこがれて吹き方も真似ていたのがスティットを形作ったのでしょうか、実に楽しそうな音色です。
B面はテナーに持ち替えて、レイ・ブラウンのベースと響きと相まって味があり、録音も素晴らしく良いレコードです。
オスカー・ピーターソンはリーダー作もいいのだけれど、サイドメンになるとメインの人がより際立つところが凄いと思う。ピアノ伴奏だけでエラ・フィッツジェラルドが心地よく唄ってるのを思い出した。
終わりの感覚を読んでみた ジュリアン・バーンズ 著 土屋正雄 訳
還暦を過ぎた主人公のトニーのなんだか気だるい感覚は同じ年代になった僕にはシンクロするようにわかる。そんな時に青春時代を想い起す手紙がやってくる。誰しもが青春時代を共にした友人に関することであれば、記憶に刻まれたフィルムを巻き戻すのは容易なことだろうし、今の自分との違いが齢の過ぎた年月を彷彿とさせる。
青春時代の若い気持ちと還暦を過ぎた落ち着いた雰囲気の描写が対照的で実に旨い。そして手紙が来てからなんだか青年時代にもどったかのような、それでいてやはり還暦であるかのような混ざり合いも見事である。
それにしても離婚した奥さんに手紙の件で相談しているけど、僕だとありえそうになく離婚していなくてもそんなことはしない。離婚してたまに会って穏やかならばその方が羨ましい限りです。
そんなありえそうにないけどあり得る情景のレベルが上がった結末もまた巧妙であるけれど、なんだか題名にはそぐわないように思える。
ビンカー・ゴールディングのサックスを聴く:レビュー
2021年になる今日、ジャズもクラシックもロックも融けかけていて渾然としているように思える中で、新しいジャズはロンドンから巻き起こっているようだ。ヌバイア・ガルシアのようにアフロビートにのったサウンドが多い中でビンカー・ゴールディングのサックスはビバップな古き良き時代のジャズ音がところどころに散見されながらサックスを吹きまくる。
アブストラクション・オブ・リアリティ・パスト・アンド・インクレディブル・フェザーズとやたらにアルバムタイトルは長いけど、久しぶりにこれだけ気持ちよく吹き抜けるサックスを聞いて嬉しい。ウィントン・マルサリスの若い時を想いだし、インプロビゼーションのジャズを想起させながら、うねるビートとリズムは新しい時代の芽を感じる。
うーん、エネルギッシュなジャズやロックを聴くとやっぱり血が湧くね。
転落・追放と王国を読んでみた アルベール・カミュ 著 佐藤朔・窪田啓作 訳
昔日な思いのある本を改めて読んでみました。カミュという作家は好きで人が生きる狭間の中でふと陥るアンニュイな空間とそこにある思考に知らず知らず引き寄せられる。でもペストだけはリアリティが強いと思います。
転落はパリで有能な弁護士を務めたものがアムステルダムへ移り住み、行きつけのバーで出会った同胞(弁護士)に人生を語る話。相手はあるけれど何も話さず、ひたすら主人公に読者が問われる形態になっている。原題はLa chute、転落、低下、没落、堕落の意味のようだけど、グーグル翻訳は秋とでる。橋ですれ違った女性が川へ落ちる話や弁護士で活躍した名声から抜け落ちた境遇から転落なのだろうけど、話の内容を罪悪のように思え堕罪の感が強いので堕落でも良いように思える。
追放と王国は6篇の短編集です。砂漠の国なのに冬で気温が低いのがアンニュイな夫婦ながら想う気持ちをそこはかなく描かれた『不貞』から始り、霊魂を呼び戻す踊りの中に酩酊しコックは大きな石を運ぶ『生い出ずる石』で終わる。どの作品も濃縮された苦味があり、新しく移り変わってゆく中に生があるようです。
若いころは憤怒と正義がごちゃまぜになったように押し寄せてきて、しっかりと立つ地が確かなのか疑心暗鬼に駆られていた。そして還暦を過ぎて読むとその通りであり、だからといってこれだという画一的なことはなく、畳の眼ほどに漸次静かに歩むと思える。
メロディ・ガルドー:レビュー
マイ・ワン・アンド・オンリー・スリル
ゆったりとして気だるいような唄い方はスローバラードが良く似合う。アコースティックなベースのうねりが彼女の歌声にからんで離してくれない。聴いた瞬間に虜にされるという雰囲気が醸し出される。
どこまでもスムースでムーディーなジャズに少し枯れた声がゆったりと渚のようにおしてはひいてゆく時間が流れ、どこか擦り切れそうな神経のラインが生暖かい樹液に包まれるうちに穏やかに治るような、なんとなく重みがなくなり浮くような感じになってエンディングする。
ノラ・ジョーンズのカム・ウィズ・ミーも売れるわけだと思ったけど、これもまた同様な思いになった。
サンセット・イン・ブルー
5年ぶりの新作でスティングとデュエットした曲も入ってます。このアルバムには18曲のデラックスバージョンがありますが、13曲の通常盤を96kHz 24bitのデジタルソースを買いました。
CDになってから1枚の曲数が増えてしまい、長いのだと60分を超えるのですが、飽き性な僕には長いバージョンはつらいです。できればデジタルソースで45分ほどに短くして価格を下げてくれるとありがたいです。
アルバムの曲調はゆったりした曲が多く、彼女の気だるく物憂げな声色がデビュー時のアルバムを彷彿とさせます。でも声のトーンがすこし乾いてしまったように思え、ちょいっと粘ってからみとられるような部分が薄くなったのがちょっと残念です。
話題のスティングとのヂュエットは良いのですが、こちらもスティングの声色がなんか柔らかくなってしまい、ちょっと冷たく突き刺す様な部分がなくなり、年齢を感じさせます。
落ち着きのある唄声に、ベースの奥深く低いうなりがエマルジョンのように混濁して帳の落ちるころに気をやすめることが気持ちいいです。でもデビューアルバムの方がインパクトが強いですね。
ハドリアヌス帝の回想を読んでみた マルグリッド・ユルスナール 著 多田智満子 訳
ローマ皇帝の中で五賢帝と言われたひとりで、ハドリアヌス帝の生涯を回顧録形式で綴っている。歴史書にちなんだ書き方をしているからだと思いますが、ドラマチックな文脈になる部分は少なく、坦々としています。
かといって、ハドリアヌス帝の多様性や公平性、軍事展開に関する考え方についてはパクスロマーナを展開したといえ、随分と近代的なように思えますので、やはり史実としてだけではなく小説なのでしょうが、形容詞と修飾語ばかりの文体で政治や軍事などの考え方の詳細もなく、ひたすら想い出です。
五賢帝の時代は世襲ではなかったことが賢帝を輩出した一因だという俗説を聞いていましたが、これを読む限りそうでもないようです。前帝のトラヤヌス帝には子供がおらず、親戚であったハドリアヌス帝を養子にしているし、ハドリアヌス帝も美少年を愛していて子息がおらず、やはり親戚のルキウスを選ぶのだけど病死してしまい、評価の高い執政官であったアントニヌスを選ぶのだけど、ちゃっかりその次の皇帝候補としてアントニヌスに親戚のマルクスを養子にとらせている。
まぁ、そうは言うものの近くでずっと見ていたものの中から賢い人を選んでいる。幼いころから見ていれば性格もよくわかるのだろう。単に履歴を見て面談してみるだけで人がわかるのならば苦労しないのは現代でも同じだと思う。
この本が著者の代表作のように書かれる批評を散見するけれど、そうなんだろうかと『黒の過程』を読むとそう思う。